追悼・灰谷健次郎氏
11月23日、作家の灰谷健次郎さんが亡くなられました。
優れた自動文学者であり、執筆以外の氏のライフワークにも尊敬の念を抱いていました。
灰谷さんとの最初の出会いは、父の所有する『太陽の子』を読んだ子供時代。
二度目は、基地建設で揺れる辺野古の海でした。
地元・沖縄県の北部・辺野古と云う小さな集落で基地建設計画が持ち上がったのはそれこそ復帰前の1960年代。
それから時間がたった現在も対朝鮮、対台湾、対中国などのアジア各国を標的にしたアメリカの軍事計画に最適絶好の位置付けとして、辺野古の基地建設は外せないようです。
そして、わたしえを含め、そんな基地の押し付けを受け入れられない県民が多くいるのもまた事実。
アメリカと日本、国家と云う目も眩むような巨きな(そして横暴な)力を前に、寄り集まった市民が出来る事は、兎に角周囲に伝えること、知ってもらうこと。
出来てしまえば半永久的に無くなることなく存在し続ける施設であること。
世界的に見ても希少な生物や形態である辺野古・東海岸一帯を埋め立てようとしていること。
それらは全て日本政府の予算(つまり、わたしたちの税金)で賄われるということ。
きちんとした議論や説明も無いこと。
どんなに無難な言葉を使っても、戦争のための施設でしかない、ということ。
本当に必要で、県民の財産になる、と言うのなら、尚のこと密に議論をすべきだと想うのですが、残念ながら国の姿勢は脅しと恫喝と猫撫での強硬作業、不当逮捕、御用学者の偏ったデータのみの環境アセス報告など等、とてもフェアじゃないのです。
それでも海や生活を守ろうと、沖縄全島や日本各地、遠くアメリカ、アジア、世界中から掛け付けたこころあるひとびととそれをバックアップしてくださる方々のちからで、からくも本格的な作業は阻止しているのですが。
そんな中、灰谷さんから辺野古で阻止活動を続けているひとびとに、メッセージと共に一隻の船が贈られたのが確か一昨年辺りのこと。
ご自身が駆け付けられないこと、しかし海を守りたい気持ちに変りは無いこと、海での阻止活動に是非所有する船を提供しますとのこと。
実際問題として、人も船も全く不足していたわたしたちにとってその申し出はたいへんに有り難いものであり、精神的にも大きな支えとなったのでした。
そして、船は辺野古の海を巡るひとびとの希望となったのでした。
名前は、ナイワイ2世。
灰谷読者の方はご存知かも知れませんね。
灰谷さんの代表作『太陽の子』に登場するナイワイ号の後継です。
灰谷さんはその時既に体調が思わしくなく、療養生活を送られている、とのお話でしたので、とても気になっていたのですが...。
とても悲しく、残念ですが、わたしは彼の言葉や生き方から授かったものを自分なりに、自分のものにしたい。
灰谷さん
幼い頃に出逢ったあなたの言葉は、成人した現在も大きな支えとなりわたしの内に在ります。
言葉にならないものも、わたしのこころの裡に在ります。
ありがとうございました。
灰谷健次郎さんのご冥福をお祈りいたします。
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