みんなむかしからのきやうだいなのだから。(慰霊の日に、想ふ)

ケロンパ

2007年06月28日 23:16

6月23日、慰霊の日。
烈しい地上戦で約20万人が亡くなった沖縄では正午に黙祷します。


去年同様、トキオで慰霊の日を過ごしました。
ひとり、しずかに祈りました。



みんなむかしからのきやうだいなのだから
けつしてひとりをいのってはいけない
ああ わたくしはけつしてさうしませんでした
あいつがいなくなってからあとのよるひる
わたくしはただの一どたりと
あいつだけがいいとこに行けばいいさと
さういういのりはしなかつたとおもひます



だいすきな宮沢賢治の、だいすきな言葉です。
文中の『あいつ』とは、若くして亡くなった最愛の妹を指していると思われます。
たいせつな、いとしいひとを特別に想うのは至極当たり前なことだと思うけれども、
特別な『あいつ』と『みんな』を同等に、大切に、尊重することが出来るならば、
戦争も、争いも、差別も、無くせるのではないのかな。
そんなことを想いました。
理想かもしれないけれども、きれいな響きだけ鼻につくかもしれないけれども、
賢治のこの文はしづかに胸に響きました。
まるで、微かに響く、水琴のように。


微かな響きとは対照的に、荒々しい声が街のそこ此処で耳につくようになってきました。
沖縄戦での集団自決は軍命ではなく、住民たちが自主的に行ったことだと主張している人達がいます。
「日本は戦争を放棄し、平和な未来を希求する」との想いを風化させ、憲法を改正(改悪)し、
再び戦争を出来るようにしようとしている人達もいます。
何の為に?
そこから、なにがうまれるのですか?
60年経って、もう忘れたのですか?
未だくるしんでいる方たちがいらっしゃるのに、無かったことにしてしまうのですか?
体裁や面子やプライドや思惑や...それらを守る為には、無かったことにできるのですか?
..................、
..................。
想い合って、生きてゆけたらいいな。


あの戦争でいのちを落としたすべての方々、
沖縄、日本、アジア、アメリカ...たくさんのきょうだいたちのご冥福をお祈りいたします。

(そして今平和を享受していることに感謝しその平和をひろげてゆくことを。)


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